お空とあんずの木の下で

子育てや読書のことなどいろいろ

広瀬友紀『ちいさい言語学者の冒険』レビュー②

さて、前回の続きです。

第3章 「これ食べたら死む?」 -子どもは一般化の名人

問題の「死む」が出てきた。我が家の娘(5歳)もそうだが、なぜか「死ぬ」を「死む」と言う。しかも、1回ではなく毎回。 どうやらこれはうちの子どもだけではんく、全国的によくあることらしい。

なぜこんなことが起きるのか?

本書によると、これは「過剰一般化」と言って、過剰に規則をあてはめ、一般化してしまうことによって起きるらしい。 「死ぬ」はナ行五段活用で、このナ行五段活用は現代の日本語では「死ぬ」と関西方面で使う「去(い)ぬ」くらいで、これにマ行五段活用をあてはめることで「死ぬ」が「死む」になってしまう。言われてみればなるほどと思うが、ナ行やマ行もわかっているか怪しい子どもたちが、こんな言葉の規則性に気づき応用しているというのは驚きだ。

文法を教えて理解できるわけではないのに、それを自分で見つけて応用したり試行錯誤しながら正しい文法や語彙を習得していく。幼児期の子どもたちの特殊な能力なのだろうか。

ある日の我が家でのひとコマ。 なかなか着替えない息子に私が、、、
私 :「お姉ちゃんは自分でしたんだよ。」
息子:「〇〇(自分の名前)、しれない(できない)。」

「できない」または「しない」と言うべきところが、「しれない」になっていた。惜しい!

第4章 ジブンデ!ミツケル!

「教えようとしても覚えません」

まさにその通り。本当にこちらが教えようとして正しい言い回しで言ってみても、我関せずで自分の正しいと思っている言い回しでやり通す。それでもいつの間にやら間違わなくなっていくので本当に不思議。聞いているんだか聞いていないんだか謎が多い。

娘も3歳くらいの頃に、
「いっこ、にこ、さんこ、しこ(よんこ)」
「ひとつ、ふたつ、みっつ、よっつ、ごっつ(いつつ)」
と言っていて、おもしろかった。あの時も何度言っても「しこ」と「ごっつ」のままだった。懐かしい言い間違い。

第5章 ことばの意味をつきとめる

語の意味範囲を過剰に広げて認識していることを「過剰拡張」、逆により限定的に認識していることを「過剰縮小」と言うそうだ。 例えば「ワンワン」のことを犬だけでなく動物一般だと思っていることが「過剰拡張」、逆に犬でも自分の家で飼っている犬だけのことだと思っていることが「過剰縮小」になる。

また我が家であった例を挙げると、、、
ココアクッキーとプレーンクッキーをおやつに食べていて、
私 :「今度はしろいクッキー(プレーンの方)食べてみたら?」
息子:「(プレーンクッキーを見て、)ちがうよ、ちゃいろだよ。」

確かにプレーンクッキーも真っ白ではなくてちょっと焼き色がついている。大人の会話ではココアとプレーンであれば、黒と白でもおかしくないが、息子にとって白は真っ白、黒は真っ黒だったらしい。

第6章 子どもには通用しないのだ
第7章 ことばについて考える力

全体を通して、我が家の子どもたちにも思い当たることが多数あり、とても興味深かった。
言葉という大海原を旅している子どもたち。まだまだ旅は始まったばかり。
親として彼らの旅の過程を静かに見守っていきたい。

この本を読んでから子どもたちのおもしろい言い間違いを耳にすると、すぐにメモしたくなる衝動に駆られるようになった。

広瀬友紀『ちいさい言語学者の冒険』レビュー①

この本の購入に至ったきっかけは、帯に書かれていた「これ食べたら死む?」という一言。これはまさにうちの娘(5歳)が現在発している言葉で、いつも「死ぬ」が「死む」になっていて不思議だったが、これを言うのはうちの子だけじゃなかったんだ!という驚きと興味で、この本を読むに至った。 読んでみると、「死む」になる理由もわかったし、他にもこれもうちの子と一緒だ!と思うことがいくつもあった。

第1章 字を知らないからわかること

「は」と「ば」の関係は普通じゃない。

これは、大人だったら「は」に濁点を付けたら「ば」になる、というのは当たり前すぎて、これまで全く気付いてなかったが、「は」と「ば」の関係は"「か」と「が」" や "「さ」と「ざ」"の 関係とは違うということ。この本を読んで初めて気付いたけど、これを文字を完全にわかっていない子供のほうがこの関係に気付いていることがあるというのが、また驚きだった。 ちなみに娘(5歳)に聞いてみたら、すでに「は」に点々をつけたら「ば」になると答えたので、息子が少し文字を覚え始めたら是非聞いてみようと思う。どんな答えが返ってくるか楽しみ。

ちなみに、「は」と「ば」の例とは外れるけれど、うちの息子はもう少し小さい頃、「は」を「あ」と発音していて、「フランス人か!」と突っ込みたくなったのと同時に、「は行」を「あ行」で発音するのは、もしかしたら人の発声(専門ではないのでよくわからないが口の中の機能上?)として自然なことなのかもしれないと思ったのを思い出した。特に直したりはしていないけれど、いつの間にやら「は行」の音の出し方がわかったようで、今では普通に発音している。

それにしても、文字を知らない子供たちが耳から聞いた音だけでどんどん言葉を覚えていくのには本当に驚かされる。保育園で教えてもらう歌なども耳で聞いただけで覚えてくるので、これは大人にはなかなか真似できないなと思っている。そして、耳だけで覚えるからこそのちょっとおもしろい間違いもあって、こちらは楽しませてもらっている。

例えば、「十二支のうた」というのを娘が覚えてきたときは、途中で「えだまめしゃあら、えだまめしゃあら、どうぶつのおうさま~」という歌詞が出てきて、なんでここで「枝豆」が出てくるの?とすごく不思議だったのだけれど、インターネットで歌詞を調べてみたら、「選ばれちゃ~った、選ばれちゃ~った、動物の王様~」という歌詞だった。十二支の動物たちが神様の門をくぐって、十二支に選ばれたという歌詞なのだけれど、文字で書かれた歌詞を見てなるほど~と思った。大人たちを和ませてくれる、何とも言えないおもしろ間違い(笑)。

第2章 「みんな」は何文字?

「うんち」を「う・ん・ち」ではなく、「うん・ち」と読むというお子さんの話から始まるが、これを見て思い出したのが、娘とのしりとり遊び。

私:「ぶどう」、娘「んち!」。

なんで「ぶどう」の後に「うんち」が来てもいいとわかっているのに、「んち」になるのか不思議だが、「んち」じゃなくて「うんち」やろ?と言うと、「あっ、そっかあ」と言って笑っていた娘。どうも子供の中では「ん」と「うん」はかなり近いものと認識されているのかもしれない。

「かににさされた」という例も出ていたが、これもまさにうちの息子が言っていた(笑)。「蚊にさされたんやね」とそれとなく正しい文で繰り返したけど、あまりピンと来ていなかった模様。

音が入れ替わる系のエラーを音位転換というらしいのだけれど、我が家で出てきたのは、「ボロット」(ロボット)、「にしやつま」(にしまつや)など。

それから、音が多くなってしまうものとしては、「ありがとうましました~」(ありがとうございました)、「あたらたらしいの」(新しいの)など。「ありがとうましました〜」は単純に音が多くなっているだけではないけど、兄弟でお店屋さんごっこをして、一生懸命お姉ちゃんの真似をしようとして、息子が「ありがとうましました〜」(むしろ、どちらかと言うと「ありがとうまちまちた〜」に近い)と言っていたのを思い出してほっこりする。


ちょっと長くなってしまったので、続きはまた次回へ。

Swans arrived

Swans arrived. They come to our town every winter.

There were about 35 swans. They were pecking ratoon crop in the rice fields. There may be not only Bewick's swans but also some whooper swans, but I couldn't tell them apart.

There was a young one who has gray feathers.

A walking man coming near them, they went to the next flooded rice field. The swans floating on the water are elegant.

白鳥飛来

今年も白鳥たちが飛来してきました。

今日は全部で35羽くらいいました。下を向いて熱心に田んぼの二番穂をついばんでいます。 コハクチョウだけでなく、オオハクチョウも来ているようなのですが、私の目では見分けがつきませんでした。

写真にはうまく写りませんでしたが、真っ白な大人の白鳥の中に、羽の色が灰色の子どもの白鳥(幼鳥と言うらしいです)も1羽混じっています。

散歩の人が近くに歩いてきたら、一斉に隣の水が張ってある田んぼの方へ行ってしまいました。水に浮かぶ白鳥は優雅で綺麗です。

多和田葉子『エクソフォニー 母語の外へ出る旅』 レビュー

わたしは境界を越えたいのではなくて、境界の住人になりたいのだ

題名の「エクソフォニー」というこの聞きなれない言葉の意味するところは、著者の言葉を借りるなら次のようなことになる。

  • 外国語で書くということに対して、「移民文学」や「クレオール文学」などの言葉よりも、「エクソフォニー」はもっと広い意味で、母語の外に出た状態一般を指す。
  • 「自分を包んでいる(縛っている)母語の世界の外にどうやって出るか? 出たらどうなるか?」という創作の場からの好奇心にあふれた冒険的な発想が「エクソフォン文学」だ

著者は日本語を母語とし、ドイツ語で作家活動を行っているが、彼女の目指すところは単にドイツ人のドイツ語を真似ることでも、ドイツ人が考える模範的なドイツ語を書くことでもない。日本語とドイツ語という二つの言語の間に生きて、それぞれを突き詰めていくことでしか見えてこない世界で格闘し、また喜びも感じているのだろう。

以下の文章を読むと、著者が日々二つの言語の間で、それぞれの言語に情熱を注ぎ、大切に育ていることを感じられる。

何もしないでいると、日本語が歪み、ドイツ語がほつれてくる危機感を絶えず感じながら生きている。

~ 略 ~

その代わり、毎日両方の言語を意識的かつ情熱的に耕していると、相互刺激のおかげで、どちらの言語も、単言語時代とは比較にならない精密さと表現力を獲得していくことが分かった。

日本語を母語とする日本人であるからこそ、そして、二つの言語の間「エクソフォニー」にいるからこそ、書けるドイツ語文学があると信じているのだろう。

私自身は文学者でも言語学者でもない、一般的に言えばそういったものとは無縁の世界に生きているが、12歳のころ初めて学校で英語という日本語ではない言語を習ったころから語学が、言語というものが好きであった。複数の言語を学ぶことでお互いの言葉が補完され熟成されていくのを感じたりするところなど、共感できる内容も多くあった。 この作品を読む時間は、言葉を知り、言葉と共に生きることに喜びを感じられる幸せな時間だった。

最後に、この作品の中で私が最も好きな文章を引用させていただく。

ここは絶対にハンブルクではありえない、たった一時間飛行機に乗って来ただけで別世界に来ることができるのだ、と驚いた。英語など縁のない世界。みんなフランス語をしゃべっている。それをベルナー・バヌンが訳してくれるが、二回に一回は困った顔をしている。言葉としては訳せるけれども、そんなことはドイツ語で言ったらとても変に聞こえるから、と断ってから、注意深く訳し始める。彼の躊躇いがわたしには味わい深かった。わたしは境界を越えたいのではなくて、境界の住人になりたいのだ、とも思った。だから、境界を実感できる躊躇いの瞬間に言葉そのもの以上に何か重要なものを感じる。

長男の授乳、離乳食 9カ月

長男も9ヶ月の終わりになりました。

以前、8カ月までの夜間授乳について書きましたが、今回はその後の経過です。授乳だけではなく、離乳食や寝かし付けなど、毎日の生活の様子についても書きます。

mocchinneige.hatenablog.com

離乳食

離乳食は8カ月頃まで、食べないわけではなかったのですが、あまり量は食べなかった長男。それが、9カ月に入った頃から急にたくさん食べるようになりました。9カ月の中頃に旅行をして、ベビーフードを使う機会があったのですが、和光堂の栄養マルシェ(ごはんとおかずがセットになって、温めずにすぐ食べられるもの)をペロリと完食し、まだ食べたそうにしていました。

汁物が好きで、毎日汁物が欠かせません。お味噌汁からの取り分けを美味しそうに食べています。初めて食べる野菜のほとんどはお味噌汁の取り分けからです。

ご飯は9カ月に入った頃は5倍粥を食べていましたが、今はもう軟飯を食べています。少し早いかなとも思ったのですが、あげてみたら案外軟飯の方が食べやすそうだったので、軟飯に切り替えました。

生で食べられるのはトマトくらいですが、甘いものじゃないと、すごい顔をします(笑)。すっぱいものはまだ苦手みたいで、プレーンの無糖ヨーグルトをあげたときも、すごい顔をして、ほとんど食べませんでした。

生活リズム

離乳食をたくさん食べるようになってから、生活リズムも整い、それに伴い授乳回数も減りました。
9カ月に入ってからのリズムはこんな感じです。

  • 5時半 起床
  • 6時半 離乳食 + 授乳
  • 11時 離乳食 + 授乳
  • 15時 おやつ + 授乳(最近はミルク40〜80)
  • 18時 離乳食 + 授乳
  • 20時 ねんね

今はまだ午前と午後の2回、お昼寝をしています。午前中は短いと30分くらいですが、長いと2時間近く寝ることもあります。

最近はおかわりするくらいたくさん食べるようになったものの、おっぱいは別腹なようで、たくさん食べた後でも欲しがります。

長男が1歳になる時点で、私が仕事復帰して保育園に預けることになるので、15時のおやつの時間はミルクをあげるようにしています。5カ月頃から哺乳瓶を受けつけなくなってしまい、保育園に預けるときに困るなと思っていたのですが、最近ストローでなら少しずつ飲めるようになってきました。

寝かし付け

それでも夜は7時半を過ぎるとだんだん眠くなってきて、本格的に眠くなると泣いてぐずって大変なので、眠くなってきた感じがしたら、なるべく早く寝室に連れて行くようにしています。

以前は寝る前に寝室で授乳をして、寝かし付けていましたが、最近は夕食の後に授乳をして、寝る前は授乳していません。
授乳しないと寝ないと思い込んでいたのですが、ある日授乳しないまま寝室で布団に寝かせたら思いの外すんなり寝てくれて、それ以来寝る前の授乳はやめました。
お昼寝のときもそうなのですが、眠そうなタイミングで布団に寝かすと、ゴロゴロして添い寝している私にひっついてきたりしながら大体自分で寝てくれます。この寝方が出来るようになってから、寝かし付けに抱っこでウロウロしなくて良くなったので楽になりました。でもタイミングを逃すと、眠いのに寝れず大泣きするので、抱っこで寝かすしかなくなり、そうなるとなかなか大変です(笑)。

夜間授乳

8カ月の終わりに夜間授乳が1回だけになっていましたが、9カ月に入って数日したら夜間授乳が全くなくなりました。朝起きたときに「そう言えば、昨日は夜中に授乳しなかったな」と思った日があり、その日から急に夜中の授乳がなくなりました。1回だけになったときもそうでしたが、1日うまくいくと、次の日からも急にうまくいったという感じでした。

夜中に起きることもあるのですが、そのまま自分でまた寝てくれることが多いです。うまく寝れないときも、抱っこすると寝てくれるので授乳はしていません。

9カ月まとめ

9カ月に入って、離乳食を良く食べるようになってから、食事の時間が毎日大体同じ時間になり、生活リズムが整いました。

それによって、授乳回数も減り、寝る前や夜間の授乳も無くなったのかなと思います。

離乳食が安定するまでは、離乳食をあげようとすると、お腹が空いたり眠かったりで泣いてしまい、予定の時間にあげられなかったり、授乳だけになってしまうこともありました。そのため、なかなか食事の時間、授乳の時間や回数が安定しませんでした。

ごはんがしっかり食べられるようになることは、赤ちゃんにとって大きな成長なのだなと実感しています。

『だるまちゃんとてんぐちゃん』 かこさとし(加古里子)

ちいさなだるまちゃんとてんぐちゃんはとても仲良しです。
だるまちゃんはてんぐちゃんのうちわやぼうしやはきものを欲しくなります。 家に帰っておおきなだるまどん(だるまちゃんのお父さん?)に「○○がほしいよう」と言うと、だるまどんはすぐにそれを持って来てくれるのですが、だるまちゃんが欲しいものとはちょっと違います。そこで、だるまちゃんは自分で考えててんぐちゃんが持っているのと同じようなものを見つけ出したり、作ったりしていくお話です。

だるまちゃんとてんぐちゃん(こどものとも絵本)

だるまちゃんとてんぐちゃん(こどものとも絵本)

長女の一番のお気に入りはだるまちゃんが欲しがった「はな(鼻)」をだるまどんが「はな(花)」と間違える場面です。この場面を読むと長女は声を出して笑います。

たくさんの変わったうちわや帽子が出てくるところも好きで、見たことのある帽子を見つけると「じいじのぼうし!」「サンタさんのぼうし!」「(ポニョの)そうすけのぼうし!」と言って指差しています。

寝る前に寝室で読んでいるので、本当のところはあまり興奮してほしくないのですが、長女の楽しそうな声を聞けると私も幸せな気持ちになります。

かこさとしさんの絵本は、丁寧な細かい絵がたくさんで、何度も読むうちに最初は気づかなかった仕掛けに気づいたりします。この絵本もたくさんの変わったうちわが出てきたり、ページの端のほうに次のページの展開のヒントが隠されていたり、子供が喜ぶ仕掛けがちりばめられています。
繰り返し読むうちに、出会えて良かったと思える絵本の一冊になりました。